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Lapinまで。 企画:Miette 発行/管理:Cabbage Design inc. 著者 やまもとゆみ 無断転載、複製は禁止します。 The ban on unapproved reproduction |
私は父と遊んだ記憶があまりない。 祖父の代でお宮さん(神社)を祖父の姉夫婦に譲ったあと祖父は、 学校の先生をやったり、電気屋をやったりして暮らしてきた。 なんとも気まぐれで怖い祖父に育てられたはずの父は、長男として 溺愛されていたので、なんの苦労もなくバイクを乗り回し しょうがなく祖父が作った電気屋で働いていた。 そんなわけで自営業だった我が家は母も店に出ており、 今と違って電気製品は修理するのが普通だったのと、 高度経済成長に乗って家を建て替える人も多かったのだろう。 結構店は「修理や電気工事」で忙しかった。 まあいやいやながら私は同居している祖父と祖母に育てられた。 何かあるとすぐに叩く昔気質の教育者の祖父、勉強しないと怒る 祖母、子供のころは毎日がいやだった。 それでも夜7時すぎると母が店から帰ってくる。 親子べったりの時間かというとそうでもなく、母は夕ご飯の支度をし、 後かたづけをしているとあっという間に8時をすぎる。 テレビは1日2時間と決められていたので、子供番組を見ることも 許されない。 それでも居間でがんばる私はとにかく母の姿が見えるところにいたかった。 弟が生まれるまでは、父をのぞく4人家族のようなものだった。 飲みに行ってたのかもしれないなと今なら思えるのだが、とにかく父は 帰りがおそく、私が居間ですっかり眠ってしまってから帰ってきたようだ。 私たち親子が住む離れへは父がおぶって私を運んでくれた。 父は茶色の作業服の上下をいつも着ており、天然パーマで太っていたので、 背中が丸く暖かだった。 そんな父の背中で見るのは決まって「丸大ソーセージ」の2重丸のマーク。 なぜか父の背中にそのマークが浮かび上がってきて「おいしそうだなぁ」と 思いながらふとんまで運ばれるのだった。 その父ももうこの世にいない。 もうちょっと話をすればよかったなと私を背負っていた父の年に近づくたび 思うのだ。もう遅いけど。
by lapin-yumi
| 2005-07-02 16:48
| ネムネムノハナシ
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