ぱしぱら
2006-09-07T17:57:40+09:00
lapin-yumi
きものデザイナーやまもとゆみのエッセイ
Excite Blog
複雑なきもち
http://lapinyumi.exblog.jp/3735022/
2006-09-07T17:57:40+09:00
2006-09-07T17:57:40+09:00
2006-09-07T17:57:40+09:00
lapin-yumi
オシゴトノコト
わたしが着物の仕事をするきっかけになったのが「KIMONO道」という本だったということは、何度か話したり書いたりしてきた。
「なんかつくるんやったら名前いるやろ?」と言うことになり、そのころユニットを組んでいたふみちゃんの名刺の裏の「あえてうれし」という言葉に惹かれ『「うれし屋」っていう名前にしようー!』とふみちゃんと盛り上がったのが「KIMONO道」に掲載してもらう履物を初めてオーダーしに行った帰りの居酒屋。
どうやったら「名前を知ってもらえるか」と戦略を練るわたしと「職人でいいの」というふみちゃんの間には見えない溝があって1冊目の本のあと、ユニットは解散した。
勢いでつけた名前だけど、愛着があった。
うれし屋の文字はふみちゃんの手によるもの、ロゴは「ウレシイ」という意味のトンパ文字。
去年、うれし屋をやめた。ただHPのアドレスはずっと見てくださっているお客さまのために残しておいた。
わたしから「うれし屋」を奪った会社はどんどん勢力を伸ばし、隣の荻窪でも「うれし屋」を見かけるようになった。
知らないで買い物をした知人もいた。
やめた時点で後悔も何もなかったのだが、やまもとゆみ=うれし屋ではなく「やまもとゆみ」を知ってほしいなと思っていた。
今年8月のおわり、うれし屋を含む全国でおよそ600店舗を有していた大手呉服店が自己破産した。
次の日にはもう店はなくなっていたらしい。
脅してまでわたしの大切なブランド名を奪っていったのに、たった1年でなんなんだ。
困った会社だということは、その時相談した人から聞いていた。
正義じゃないものがのこらないのはわかるけど、たぶんもう永遠にこの世界から「うれし屋」は消えてしまった。
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真夜中の太陽食堂
http://lapinyumi.exblog.jp/2987489/
2006-04-19T14:32:16+09:00
2006-04-19T14:32:17+09:00
2006-04-19T14:32:17+09:00
lapin-yumi
タイセツナモノ
私たちは同士なんだろうか。
不思議なつながりで結ばれている。
4年前、私たちは知り合ってたくさんの時間を共有して、誰かがみたら「なにやってんの」ってことも真剣におもしろく、オトナだからできることとしてやってきた。
Miette-ミエット-
それが私たちの秘密のユニット。
漫画家やまだないととデザイン会社のやまもとゆみ。
思いつきで遊べるオトナの関係は心地よく、いつも最大限の遊びを考えていた。
真夜中の太陽食堂、そこがわたしたちの会議室。
黒い酢豚をほおばりながら「今度なにやろう」といつも悪巧み。
進んだり戻ったりしながらそれぞれの友達を巻き込んで。
「かみのらぱん」ができた。
「やりたいね」
「やれるかな」
「やろうか?」
「やろうよ!」
そのノリでノリキッテしまった。
私たちのいくつめかの作品が世の中にでていく。
もう太陽食堂はなくなってしまったけれど、わたしたちの真夜中の会議はこれからもオトナの楽しみで続けられていくとおもう。
だから待ってて、また次のこと考えるから。]]>
かみのらぱん
http://lapinyumi.exblog.jp/2929681/
2006-04-06T11:12:32+09:00
2006-04-06T11:12:32+09:00
2006-04-06T11:12:32+09:00
lapin-yumi
タイセツナモノ
昨日「かみのらぱん」の色校があがってきた。
待ちにまったもので、印刷屋さんからひったくるように奪った色校の入った袋。
中には2冊分の印刷予定の紙に刷り込まれたらぱんが。
大きな紙からちょっと目を向けると本のようなものが2冊ずつ。
1冊は製本イメージでこちらが渡したもの。
もう1冊は印刷屋さんがイメージをつかめるようにと、本の形にしてくれたものだった。
「本になっていく感じがするでしょ?」と電話で言われた。
うれしい。
15時にはN氏もやってきて、ほぼ直しなしの状態。
夜にはないとさんと会って最終チェック。
こうやって大切な人たちと大切なものを作っていける喜びをかみしめてる。
いよいよ来週、世の中に「らぱん」が出ていきます。]]>
言葉にすると失われるもの
http://lapinyumi.exblog.jp/2738132/
2006-02-24T11:52:47+09:00
2006-02-24T11:52:47+09:00
2006-02-24T11:52:47+09:00
lapin-yumi
タイセツナモノ
それは細い糸かもしれないけど、ずっと大切にしてきたきもち。
そんな友達はほんのちょっぴりでいい。
たくさんいらない。
「大切に思っています」と面と向かって言わない。
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順番を選べない...
http://lapinyumi.exblog.jp/2704652/
2006-02-17T17:48:58+09:00
2006-02-17T17:48:58+09:00
2006-02-17T17:48:58+09:00
lapin-yumi
タイセツナモノ
きりきりと胸が痛いです。
わたしの足は21.5cmととても小さく、履物には本当に苦労します。
わたしが通っていた中学はちょっと変わった学校で、白のスニーカーか青のスニーカーを履いていないといけない校則でした。
中1の頃、あこがれていた(今で言うメガネ男子)の宮浦先輩がはいているブルーに水色のシューレースのがどうしてもほしくて、ねだりにねだって買ってもらいました。
23cmでした。
かなり大きい靴を履いて体育の授業にでるのは大変でした。
高校に行くようになり、そこも変わった学校で(親の別居で富山に住んでいました)黒か茶の革靴もしくは白のスニーカー、冬は白のスノトレもしくは黄色の長靴。
みんな980円の黄色の長靴を履いてました。スノトレなんていやだったんですもの。
革靴はリーガルが高かったのでほとんどがハルタのローファー。
わたしは22cmからしかないローファーだと脱げてしまうので、スニーカーを履いてました。
でも革靴がほしかった。
町で唯一のおしゃれ靴屋でみつけた黒のストラップシューズは22.5cmのものだと中が赤。22cmはオフホワイト。
母に「革靴なんて贅沢。あかんあかん。」と言われていたので、お小遣いをためてそのストラップシューズを買いました。22.5cmのを。
中の赤がかわいくて。
でもやっぱダメでした。大きすぎて脱げてきます。
高校を卒業するとき、祖母が買ってくれた赤いスエードの靴。
ラボキゴシのもので、びっくりするお値段。(わたしにとって)
靴クリームで手入れをしようとしてスエードの靴がぴかぴかになっちゃってショックを受けました。
たぶんそのころからです。靴を買い始めたのは。
田舎に住んでいるとかわいい靴も限られています。
雑誌の中で見るKISSAの靴はとても大人っぽくてかわいくていつかほしいと思っていました。
東京に来てはじめてお店の前を通ったとき、まだじぶんには早いと思ってはいることができなかった。
そして今日まで「買うなら青山で」と思って我慢してきました。
人が亡くなるのに順番を選ばないと思うけど、でもちょっと早すぎます。
やっともう買ってもいいかなって年になったのに。
また生まれ変わってもすてきな靴を作ってください。
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たくさんの想い
http://lapinyumi.exblog.jp/2564848/
2006-01-21T16:46:52+09:00
2006-01-21T16:47:08+09:00
2006-01-21T16:46:52+09:00
lapin-yumi
タイセツナモノ
わたしの部屋から見えるマンションは明け方雪が積もっているように見える。
今朝起きたらそのマンションに本物の雪が積もっていて、何度も目をこすってみてみた。
本物の雪が東京に降った。
わたしはいつもきちんと生きていなくてはと思うあまりに自分の感情を心許す人以外に見せない。
時々それがつらくなって一人で泣いてしまったり、大切な人を傷つけてしまったりする。
そしてまたひとり、そういうわがままで人を傷つけてしまった。
雪がそんなことを流していってくれたらいいのにと思いながら、でもないだろうなと思っている。
明日からの占いで
愛を与えることが原因で傷つくことはない...と書かれていました。
わたしをとりまく空気が不安定でもろいものではないと。
そうであってほしいと思う。]]>
ゆきのひ
http://lapinyumi.exblog.jp/2401061/
2005-12-20T22:23:06+09:00
2005-12-20T22:22:24+09:00
2005-12-20T22:22:24+09:00
lapin-yumi
オシゴトノコト
毎日寒いですね。
わたしは今回はじめてマンションに住んだので密閉度が高いのに驚いています。
うちに入った瞬間ふわっとあたたかい。
そのうちデロンギなしでは我慢できなくなるのですが...
日本中が雪で大変なとき、金沢に行ってきました。
まさか12月に雪が降るなんてことはないだろうと、思っていましたからぎりぎりのスケジュールで14日から16日まで。
小松空港は自衛隊基地があるため軍用空港に近く、大概着陸します。
小松をでて、羽田が悪天候で引き返すなんてこともあるくらい。
14日、大雪が降り始めているとも知らず3人で向かいました。
市内へ向かうタクシーの中、どんどん雪が増えていきます。
「こ、こんなはずじゃなかったー...」と思っても後の祭り。
雪を入れずに撮影なんて室内以外不可能です。
参ったな。
14日から16日まである撮影で金沢に行っていたのですが、雪は思わぬ効果を返ってもたらしてくれて、作ったら絶対とれないような写真が撮れてしまいました。
この結果は3月くらいかな。
久しぶりの金沢は、行き当たる人がみんなやさしく飛び込みにもかかわらずほんとにお世話になりました。
いい形で残せるといいなと思っています。
まだお話できないので、抽象的でごめんなさい。
雪の降っているたいへんなところに比べたら、寒いだけの東京はなんてことないです。(と、思いたい...)
がんばります。
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オカモトタロウサン
http://lapinyumi.exblog.jp/2300162/
2005-12-02T19:00:29+09:00
2005-12-02T19:00:29+09:00
2005-12-02T19:00:29+09:00
lapin-yumi
タイセツナモノ
今日は岡本太郎記念館にはじめて行きました。
「芸術はバクハツだ!」と言ってテレビにでてたおじさんくらいにしかコドモの頃は思っていませんでした。
わたしの中で、太陽の塔と結びついてもいなかったし、彼が何者なのかもわからなかった。
今日「はっ」としました。
彼が残した数々を目の当たりにしたとき、
「わたしこのおじさんみたいに好きなコトができるんだったら絵を習いたい」と思ったことを思い出したのです。
ピアノの先生は、竹でできた30cmさしで手の甲をぴしゃりとたたきました。
「どうして暗譜ができないの?」
わたしの左の耳は音を聞き取ることが出来ず、どうしても左手が奏でる和音を聞き分けることができません。
音楽はわたしに向いていないようでした。
おじいちゃんにつれられて行ったお絵かき教室は、しかられることもなくのんびりと絵を描くのが本当に楽しかった。
みんなと同じにしなくていいんだ。
岡本太郎の絵はそんなわたしにはじめて挑戦状を突きつけてきたのです。
「こんな風に自由に描けるかな?」と。
常識的な大人になってしまった今、彼のアトリエで油絵の具のにおいをかいだとき、もっともっとなにかしたい、みんなを驚かせたいと強く思いました。]]>
新しいブランドが始まります
http://lapinyumi.exblog.jp/2193205/
2005-11-14T21:17:20+09:00
2005-11-14T21:17:07+09:00
2005-11-14T21:17:07+09:00
lapin-yumi
未分類
9月からお休みして新しいブランドを準備してきました。
先日11月9日に、京都で最初の発表会を着物屋さんに向けて行い、
新しいブランドを作ったというお知らせをしました。
お休み中は、システムの仕事も重なりほとんど家に帰って「風呂、寝る」の
生活を続けてきましたが、やっとどちらも形になりました。
でもやっとスタートラインにたったところです。
これからもがんばります。見守ってやってください。]]>
なまえ
http://lapinyumi.exblog.jp/2128478/
2005-11-04T15:20:46+09:00
2005-11-04T15:19:38+09:00
2005-11-04T15:19:38+09:00
lapin-yumi
ネムネムノハナシ
子供の頃は、いつもうちに犬がいた。
自宅には猟犬のポインター、店の机の下には雑種。
どちらも老犬で、わたしの無理矢理な仕打ちにもよく耐えていたらしい。
ポインターの名前は、ジョン。
わたしに馬乗りになられても、口の中にげんこつを入れられてもじっと耐えて老衰で死んだ。
雑種の名前は、ピケ。
ものすごいおばあさんで、めったに店の事務机の下からでてこなかった。
ジョンとピケが死んでしばらくして新しい犬が来た。
今度のは、若くて元気なポインター。
父が鳥を撃ちに行くので、猟犬が必要だったらしい。
「名前つけてええで」と父に言われた。
そのころ、テレビで盛んに歌ってた歌手の名前をつけた。
--五郎--
そう歌ってたのは、野口五郎。
髪の毛が長くて、日本人じゃないみたいな風貌なのに「五郎」
わたしのなかでどうやらはやっていたらしい。和風の名前。
それからしばらくして弟が生まれた。
「名前つけてもええ?」と、家族に聞いた。
五郎の一件以来、わたしの名付けはあまり歓迎されていなかったようなのだけど。
おじいちゃんの鶴の一声。
「ゆみがつけたらええ!」
一生懸命考えた。
弟の名前は「さとし」
保育園で、毎日男の子と手をつないで公園とか行くのだが、そのときいっつもわたしの
手の甲の皮をつねるにっくきやつがいた。
そのこの名前が「さとし」
あまりにも毎日意地悪されるのだけど、体が弱くて小さかったわたしは抵抗できず。
そのうさばらしに弟に「さとし」と名付けて実はこっそりいじめることにしたのだ。
そんなこととは知らない家族は
「ええ名前や。字数もええし(漢字でつけた名前がよかったらしい)。覚えやすい。
ゆみは天才や!」と言っていた。
弟の写真がでてきて、ほんと、どうしようもない子供だったんだな、としみじみ思い出してしまった。]]>
あきのにおい
http://lapinyumi.exblog.jp/2038599/
2005-10-21T21:52:15+09:00
2005-10-21T21:51:19+09:00
2005-10-21T21:51:19+09:00
lapin-yumi
ネムネムノハナシ
大好きなにおいは、キンモクセイ。
小学校の帰り道、どこからともなく風にのってやってくる甘いにおい。
秋のまんなかのにおいです。
学校の帰り道に大きなキンモクセイの木があって、どうしてもその枝がほしくて木に登っているところを見つかってしかられて逃げ出したこと。
その大きな木しかこの世にはないと思っていたキンモクセイが、実は家の庭にもあって庭のブランコをこぐとどこからともなくにおってきて、見上げたらあんなにほしかった花が鈴なりに咲いていた。
なつかしくてあまいにおい。
うちの店の向かいには、小間物や化粧品を扱っているお店があって今思えばじゅうぶんあやしいのだけど、キンモクセイの香りのコロンがあった。
店のおばちゃんにナイショでそっと手首につけてくれるのは、1つ年上のその店のおねえちゃん。
店の奥は薄暗い自宅で、色が白くて何もしゃべらないおじいちゃんのように見えるその子のおにいちゃんがいた。
「おにいちゃんは学校に行かなくていいの、いいなー!」
おにいちゃんはなにも言わずへらーっと笑っていた。
体が弱くて治らない病気の人がこの世にいるというのを初めて知った。
学校の帰り道、市民病院の横の溝で犬が死んでいた。
毎日その様相を変えて行く犬にこどもたちの好奇心は最高潮に達していたに違いない。
わたしもこわごわのぞきこんだ。
それも秋。
キンモクセイのにおいがしてくると毎年こんなことをわーっと思い出して、懐かしさとちょっと悲しい気持ちでたちすくんでしまうのだ。
そう先週も、駅前で...
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ウサギノコト
http://lapinyumi.exblog.jp/1934329/
2005-10-06T17:18:35+09:00
2005-10-06T17:18:28+09:00
2005-10-06T17:18:28+09:00
lapin-yumi
未分類
うさぎはずっと好きだったけど、本物を飼ったことはない。
なんでうさぎなんだろう、と思うと6才ぐらいにさかのぼる。
大人の歯に生え替わるとき、私の前歯はお互いちょっと内向きに生えた。
「うさぎみたいで、いややわ。このこ」と親に言われた。
「うさぎかわいいやん」と思っていた。
そんな気持ちがあったのか、絶対最初にうさぎを選ぶ。
初めて見よう見まねで編んだのもうさぎ。
ものすごくかわいくないのが出来てどうしようと嘆いていたんだけど、どんどんシンプルにしていったらわたしらしくなった。
そうやって編んだ子たちを西荻の「ジェリービーン」で売っていた。
KIMONO姫の履物を頼まれたときに、
「マリ子」の足下のアップをとりたいから「うさぎ」のついた履物を1つ作ってくれとリクエストされた。
え?うさぎ?
そのころ私が編んでいたうさぎはパリの友達の子供のマフラーや、帽子のてっぺんにつけるためのもので決して花緒につけるものではないし。
今まで作ってきたものの半分くらいの大きさにしないと絶対むり。
ばってんの口をやめ、目の間隔を離し、手足に綿を詰めるのは無理なので、毛糸を2重にして編のでみた。
で、できあがったのがKIMONO姫1の目次の高橋マリ子ちゃんのあしもと。
まだこれが商品になるなんて思ってもいなくて、写真もまともに残っていない。
でもその写真は2004年の年末まで「うれし屋」のHPのトップを飾ることになる。
そして私は自分が編むうさぎは白と黒に決めた。
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サクラサクラ
http://lapinyumi.exblog.jp/1886504/
2005-09-29T19:28:07+09:00
2005-09-29T19:28:02+09:00
2005-09-29T19:28:02+09:00
lapin-yumi
未分類
さて、日本に戻ってから刺繍した花緒を履物屋さんに持ち込んだ。
撮影まで時間もあまりない。
私は毛糸刺繍をほどこした別珍、一緒にユニットをくんでいた日本刺繍の職人さんはため息ものの刺繍の生地。
その履物屋で初めて花緒の仕立てに種類があることを知った。
とにかく江戸っ子でこわいおじさんに生地を渡し、あまりに色がかわいいので二になった花緒を1本購入。
事務所に戻るとさっきの江戸っ子おやじから電話。
「ちょっとねぇ、もらった生地、刺繍の方向が反対だから途中で切って真ん中で継ぐよ」
「ちょ、ちょっと待ってください。そしたら柄がちゃんとでない」
(てやんでぇ。ちくしょう)「花緒ってのはな、自分からみて正面なんでい。」
「え、でも人から見られてかっこいい方が...」
「んなわけない。できねーったらできなー」
がっちゃーん。
できあがってきたのが、一番上の写真。
西洋の美学は他人から美しいものを認めてもらうというものですが、東洋というか日本は自分が見て美しさを感じるんだとそのとき思った。
目から鱗。
びっくりした。そのときの畳草履は、KIMONO姫1で高橋マリ子ちゃんのあしもとを飾った。
毛糸刺繍をやってみて自分には向いてないとわかった私は、他にできないことを探して、シルクの糸で桜のモチーフをえんえんと編み、みつけたからし色の花緒に縫いつけてみた。
ああ、こんなやり方もあるんだな。
できあがった花緒を見て、履物屋のひとがみんな驚いてた。
ちくしょー、かわいいじゃねえか。
春にでる本だったので、こっそりと自分の中では「桜」をテーマにしたのだ。]]>
サイショノオモヒデ
http://lapinyumi.exblog.jp/1873213/
2005-09-27T21:31:34+09:00
2005-09-27T21:30:07+09:00
2005-09-27T21:30:07+09:00
lapin-yumi
ハキモノバナシ
2002年冬、パリで私はちくちくとお針子仕事をしていた。
キャンバス用の枠に別珍をはって、自分で書いたデザイン画をみながらダイレクトに刺繍。
大胆すぎる。そのうち下書きもみなくなった。
これは、新しいきものの本のためにつくる初めてのはきものの花緒の刺繍。
刺繍ができたあとは花緒のイメージを確かめたいと思いつつも、台がない。
クリニャンクールのはずれで偶然見つけた裏がタイヤの雪駄のようなものに巻き付けて感じをみてみる。
なんとなくわくわくする瞬間。
このとき、手仕事熱にうかされていく瞬間を知ったんだ。
日本に戻ってこの生地を履物屋さんに持ち込むことになる。]]>
ケーキのはなし
http://lapinyumi.exblog.jp/1837563/
2005-09-23T00:00:00+09:00
2005-09-22T19:59:50+09:00
2005-09-22T19:59:50+09:00
lapin-yumi
ネムネムノハナシ
今日お誕生日です。
きがついたら結構生きてました。
というわけで、子供のころの話。
お誕生日のまあるいケーキはピンクと白の薔薇がのってました。
でもそれはバタークリームで、食べた瞬間なんともいえないあまさが脳みそをつきぬける考えられない味の食べ物だったのです。
まあせっかくだから「まずい」なんていえません。
ちょっと顔をしかめてみせたら、
「あ、たらんかった?おかあさんのもあげよか?」
や、やめてぇ。
弟が生まれ、ケーキはいちごとかみかんがのった生クリームに。
これも実は苦手。
クリームがなんとも口の中でくすぐったいのです。
食べてるはしから大笑いする私をけげんそうに見つめる家族。
家族でさえそうですから他人はもっと冷たい。
いつしかケーキがきらいになりました。
中学の時、学校の近所に自分でとるパン屋が初めてでき、そこには見慣れない茶色のケーキが冷蔵ケースの中に入っていました。
「ちーずけーき???」
120円です。学校帰りに一つ買ってみました。
くちのなかにほわんと溶けて甘くない。
こんなおいしいものがあったのか!
今思うと「スフレチーズケーキ」なのでしょうね。
私の食べたケーキの中で1番の味になりました。
今ではもっとおいしいものたくさん知ってます。
でも時々思い出して懐かしくなるのです。
サンベリナのチーズケーキ。まだ売ってるのかしら?
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